ティーンズ向けエッセイ

(スマホで見やすい短い文章にしました)

大事な「今」を1冊の日記帳に綴る。

そして、未来の自分にプレゼントする。

目次

T01 『心を洗う』

なんか心がベトベトしてる。

今日は良いことも悪いこともなかった。

普通の日だったのに、とても疲れた。

だから日記を書く。

毎日ハミガキするのと一緒。

心も汚れる。

汗をかけば臭くなるのと一緒。

心も洗ってあげた方がいい。

5years diaryは一日たったの5行だけ。

だいたい5分で書き終わる。

私の一日はそんなに簡単じゃない。

だから全部書き出すなんてムリ。

思ったことをちょこっと書くだけ。

それで充分。

心がスッキリする。

でも時々、痛い。

思い出したくないこともある。

だけど書いちゃう。

心に閉じ込めておくのはよくない。

サッと書いて、パタンと閉じる。

これを毎日、横に書き続ける。

一年経ったら、一段下に書く。

こうして毎日が繋がっていると感じる。

5年をかけて一冊完成。

意味あるのかな、って思う時もある。

だけど、やっててよかったみたい。

忘れると書きたくなる。

次の日、書くときもある。

書いた方がよく眠れる。

歯も身体も心も、キレイに洗う。

私の習慣だ。

T02 『日記は日記』

日記は自分だけのもの。

誰にも見せたりしない。

感想文や作文とは違う。

意味不明の文章で構わない。

「思ったこと」を書くのが大事。

「あったこと」を書くとキリがないから。

言い訳、愚痴、なんでもアリ。

昼に言えなかったことをここに書き出す。

正しいとかは関係ない。

誰にも見せない、添削されない。

好き勝手に書くんだ。

だけどネガティブな感じになってたら、

自分を励ます言葉を付け加える。

恥ずかしがる必要はないよね。

だって誰にも見られないんだもん。

これを毎日続けて、翌年読み返す。

5years diaryのいいところ。

日記を書くのは特別なことじゃない。

字が書ければ、誰でもできる。

T03 『なりたい自分になる』

夢や憧れは尽きない。

あんな人になりたい。

こういう風になりたい。

どうしたらいいのかな。

人にいうのは恥ずかしい。

だから日記に書く。

すると、自然と叶ってくる。

不思議

本当だよ。

スケジュール帳とは違う。

「いつまでに」とかじゃない。

自然とそういう方向に行くみたい。

5years diaryの不思議な力。

いろんなことを書く。

家族のこと

友達のこと

体型や見た目のこと

お金貯めて買いたいもの

5行に全部詰め込んじゃう。

あれもこれもなんでも書いちゃう。

だって全部叶えたいから。

どれか一つじゃ嫌だ。

全部、叶える。

理想の自分は自分でなる。

T04 『毎日に自信が持てる』

毎日5行、思ったことを書く。

泣き言や愚痴が多い。

私は人に誇れることがない。

頭がいいわけじゃない。

見た目もいいわけじゃない。

だけど、日記を書き続けている。

そんなことが自信に繋がる。

「たかが日記、

 誰にでもできること。

 されど日記、

 誰もがやっているわけではない。」

どんな日だって書くんだから。

書いた後は自信が持てるから。

毎日続けるのは大変って思う。

だけど、それを私はやってる。

人の評価は関係ない。

自分だけの誇らしい時間。

続けるなら5years diaryがいい。

毎日の自信が書き溜まってゆく。

この日記帳が私の自信に繋がる。

T05 『いったい何を書けばいいんだ』

何を書いたらいいか分からない?

「いいね」が無いからつまらない?

正解はね「思ったことを書く」だよ。

起承転結無用

支離滅裂上等

喜怒哀楽全開

何をどう書いたっていいのが日記だ。

ポイントはある。

事実を羅列(られつ)しないこと。

日記は心の記録だから。

あったことを順に書き出しちゃダメ。

だった5行しかない5years diary。

「私はね」としゃべるように書く。

あっという間に埋まってしまうよ。

嫌だったことも書く。

何があったかは詳しく書かない。

思ったことを書くだけ。

未来の私に残したいのは、

どうやって復活したか、

それだけ。

同じことは二度と起こらないと思う。

だけど、似たことはまた起こる。

そのとき、今の経験が生きる。

書き残していないと忘れる。

書いててよかったと、何度も思った。

難しく考えないで、

ただ思ったことを書くだけ。

T06 『混ぜない』

日記帳には日記を書く。

手帳にはスケジュールを書く。

日記帳と手帳を混ぜちゃいけない。

ダイエットの記録は手帳に書こう。

お金のことはお小遣い帳に書こう。

勉強のスケジュールは手帳に書こう。

日記帳には、思ったことを書く。

ダイエットのことも書いていい。

お金のことも書いていい。

勉強のことも書いていい。

記録ではなく思ったことを書く。

「今日はがんばった」とかでOK。

何でかって言うと、読み返すから。

数字の記録は5年後あまり意味がない。

どう思ったかは5年後とても大事。

やれば分かる。

5years diaryのいいところ。

5年前の体重を見ても感動しない。

5年前の頑張りを読み返して実感する。

日記帳は自分の分身。

100%味方の相棒。

本音を綴って大事に育てる。

記録のメモじゃなくて、心を書こう。

手帳とついまとめたくなっちゃう。

1冊の方が便利って思っちゃう。

だけど、付き合い方が違う。

手帳は期間限定。

日記帳は一生。

T07 『苦痛?』

日記を書くのは苦痛?

毎日、続けるなんて無理?

真面目だね。

次の日、書いたっていいんだよ。

数日ズレても全然平気。

大したこと書いてなくても大丈夫。

大切なのは「やめない」こと。

とりあえず、何か書きなよ。

そしたら何となく毎日続くから。

5years diaryってそういうもの。

苦痛なんかじゃない。

T08 『継続は力なり』

誰でも知ってる有名な「ことわざ」

体験したことはある?

聞いたことがあるだけ?

毎日、5years diaryを書くことは、

「簡単」とは言えないかもしれない。

書きたくない日だってある。

でも、歯ブラシは毎日できる。

それと一緒。

日記は難しいことではない。

だけど、続けてる人って少ない。

特別なスキルはいらないのに。

書いてることは、正直・・・

「しょうもないようなこと」だけどね。

5年続けると、それはスゴイ事になる。

今日のスペースにとりあえず5行書く。

1年間けて最初の段を埋めてゆく。

これを積み重ねて1冊を書き終える。

その時、「継続は力なり」を感じる。

継続の力は一気にやってこない。

毎日、ちょっとずつ鍛えられる。

ある日それに「はっ」と気が付く。

それはスゴイ体験。

T09 『慎重に、大胆に。』

一日一日は大したこと書いてない。

わざわざ日記に書くような事…?

なんて笑っちゃう時もある。

私の人生を簡潔になんて書けない。

5years diaryを書く時間は、

揺れ動く自分の感情と向き合って、

自分について考える時間。

こうして自分とちゃんと向き合ってると、

衝動的に動いて失敗しないみたい。

「これでいいのか」と迷う気持ちを書く。

挫けそうな私、

怯む私、

弱音を吐く私、

応援する私、

説得する私、

褒める私、

さまざまな思いを綴る。

ブレブレな気持ちを書くことが大事。

周りの人は知らないからね、

「突然」とか「大胆」とか言われるけど…

めっちゃ悩んで決めたことだし。

大胆かもだけど、慎重だもん。

もし日記に本音を綴っていなかったら、

同じ答えを出せていたかな?

たぶん、違う道を選んでたかも。

叶えたい夢に手をのばせなかったかも。

だって失敗したら怖いもんね。

だから、丁寧にその気持ちを書く。

少しずつ自分の行動が変わってくるよ。

その「夢」に向かって、

慎重に船を漕ぎだし始める感じ。

静かな変化に最初は気が付かないかも。

昨日と今日じゃ、なにも変わってないしね。

先週と今週を比べても、あんまり違わない。

だけど昨年と今年はまるで違うよ。

自分のペースでたどり着いた結果には、

後悔や失敗が少ない。

書いてたことで今があるのだとしたら…

もし書いていなかったら…?

T10 『ネバーエンディングストーリー』

日記には終わらない物語を書いている。

もちろん主人公は「自分」。

決して完結しない、終わらない物語。

今日をきれいにまとめなくていいよ。

何か意味のあるものにしなくちゃとか、

気張らなくて大丈夫だよ。

あなたの第一章は始まったばかり。

頑張らなくても既に意味を持ってる。

日記は常に「今」を書くもの。

学びは全て「過去」からやってくる。

「未来」にとっては「今」もまた「過去」

全ては流れるように繋がっている。

まずは今日、思ったことを5行書く。

これを毎日続けて物語を紡いでゆく。

単純な作業だね。

数日書いただけでは、正直、しょぼい。

自分がつまらない人間だって思える。

なんか情けない気持ちになるかも。

だけど、そこで止めないで。

ドラマチックな小説だって、

たった5行じゃ伝わらない。

だけどその5行はなければならない。

ストーリーは繋がっているから。

つまらないと思える5行も、

クライマックスど真ん中の5行も、

どちらも大事な5行なんだ。

つまらない日に、つまらなかったと書く。

それが、この長い物語には必要なんだ。

カッコつける必要はない。

本心をありのままに、

本物の自分のストーリーを綴る。

5years diaryは、気付かせてくれる。

来年、自分の人生に動きを感じる。

昨年の今日がしょぼくても、

つまらない日に思えても、

それは今に繋がる学びになってる。

毎日たった5行だけど、

自分の人生を書き上げてゆくのは、

決して無駄な作業なんかじゃない。

自分について書く、

自分について考えるということが、

「つまらない」なんてことはない。

退屈なわけがない。

なたの物語は、あなたにしか書けない。

T11 『自分の字が嫌い』

私は字がうまくない。

かわいく書けない。

そんなこと、気にしなくていいんだよ!

5years diaryは5年かけて完成させるもの。

だから自分の字の変化を感じる。

日によって違うから面白い。

気分によって変わるから面白い。

自分の字で埋め尽くされた日記帳は感動。

字がキレイとか下手とか関係なく感動。

私の字は癖が強いけど愛着がある。

毎日、私の複雑な感情を綴ってくれる。

自然と好きになってくるんだと思う。

きれいに見せようと色を変えちゃダメ。

必要以上に時間をかけない方がいい。

ボールペンで一気に書き上げよう。

文字は、自分の「素」だからね。

嫌いなんて言わずに愛着を持っていこうよ。

5years diaryは俄然手書きがいい。

手書きの文字には感情が乗ってくる。

パソコンやタブレットはイマイチ…

読み返した時の思い出のよみがえり方が違う。

直筆は味があっていい。

T12 『忘れるために書き残す』

嫌なことは思い出したくない。

日記に書いたら忘れられなくなりそう。

良いことは忘れたりしない。

だから日記に書かなくても大丈夫。

だって、なんか恥ずかしいし…

みたいなことを思ってたりする?

「大丈夫」

ちっとも、恥ずかしくない。

だってね、ほとんど忘れちゃう。

「今日の事は一生忘れない」

そう誓っても、来年には忘れてる。

日記を書いていなければ、

忘れちゃったことも忘れちゃったまま。

それでも困ることはないよね。

皆そうして過ごしていそうだもん。

日記を書かないことを普通と思っている。

忘れても不思議に思ったりしてない。

それを自然と受け入れている。

だけど読み返すことができればどう?

「忘れるはずがない日」を思い出せると、

人生は大きく変わりるよ。

過去の日記を読み返して、

気付くことがたくさんある。

細かいことまで書かなくて大丈夫。

自分の手で書いた文章を読めば、

時が戻ったかのように思い出せる。

(全部が全部じゃないけどね)

それに今日のことを日記に残す方が、

安心して忘れることができる。

嬉しい日もそうじゃない日も、

書かないより書いた方が早く忘れるみたい。

だってまた思い出せるって分かっているから、

ここに書き残してあるから、

済んだことに引きずられることなく、

新しい今日に集中することができる。

反省をしてないわけではないよ。

反省はきちんと書き残されている。

5years diaryは、昨年や一昨年の同日を

何度も読み返せる仕組みになっているから。

すっかり忘れた反省も、

翌年には思い出し再び反省し、

その翌年も読み返し三度反省することになる。

だから性懲りもなく同じ失敗を繰り返さない。

嬉しいことも同じ。

かけてもらった温かい言葉を、

思い出してかけてあげることができる。

全てを覚えておくなんてできるわけない。

だからって忘れてしまうのは勿体ない。

どんなことでも人生の糧になる。

未来に小さなヒントをくれる。

どうして書き残さないの?

T13 『どんな日記帳がいい?』

5years diary(5年連用日記)か

3years diary(3年連用日記)がいい。

1日5行から8行くらいが丁度いい。

私のアドバイスはこの2つ。

・合皮のカバーは止めた方がいい

・日付はあった方がいい

合皮のカバーはボロボロになるから。

日付があった方が書きやすいから。

書きてるときは毎日、5年間使う。

書き終わったら、一生とっておく。

そんな大事なノートだから、奮発しよう。

1冊3000円は、10代には高いよね。

だけど、頑張って買ってほしいな。

きっといい事あるから。

宝物になるからさ。

私の5years diaryは、5冊目だよ。

 

T14 『軌道修正』

毎日、自分のことを書いていると、

自分のクセに気が付くときがある。

なんとなくは分かっていたんだけどね。

自分で書くと露骨に出てしまうよね。

気に入っている性格はそのままにしおこう。

もし変わりたいと思うところがあるなら、

嫌なところは日記で直すことができる。

「なんだか暗い気分が続くな」というとき、

できればもっと明るい気分で過ごしたいなら、

日記の中で自分の性格の軌道修正できるんだよ。

やり方は簡単。

まずは思った通りの暗い感情をそのまま書き、

その後に少し引いた(距離を置く)感じで、

このままでいいのかといった問いかけをするの。

自分の中の暗い人格と明るい人格を用意して、

日記の中で会話をするような感じ。

そして明るい自分が暗い自分にダメ出しをする、

みたいな感じかな。

例えば、本当は仲良くしたいくない友達から、

遊びに誘われる日が続いていたとするよね。

両親からはいい顔をされていないし、

自分自身も本当は別の友達を作りたいけど、

なぜか断り切れずズルズルと一緒にいて、

素直になれない今の状況を正当化してるとしよう。

「私だって別の友達と過ごしたいけど、

 別に悪いことばかりじゃないもん。

 友達なんて選べないよ。

 お母さんのいじわる!」

友達に良いも悪いもないかもしれないけど、

なぜかモヤモヤする気持ちを無視してる。

嫌な感情に向き合いたくはないよね。

だけど、自分の気持ちに向き合わないことは、

自分を大事にしていないのと同じことだよ。

日記の最後に一言加えて。

「これでいいのかな」

自分の行動を否定するみたいで嫌な気分?

だけど他人の意見は、もっと聞きたくない。

反省するとかじゃない…

少し考えてみるだけ…

何回か書いていると自然と直るよ。

日記帳の中にいる二人の自分。

どちらも本当の気持ちだと知っている。

だけど「このままでいいはずがない」

必ず変わるよ。

数カ月もあれば、劇的に変わる。

T15 『なんで5years diaryなの?』

5年でなくてもいいよ。

3年でも10年でも連用日記であればOK。

私が5years diaryをつけ始たのは20歳から。

それまでも日記を書いていたよ。

小学生の頃はサンリオのノートとか、

鍵の付いた太い本のようなノートとか、

「日記帳」ではなくお気に入りのノートに

気が向いた時だけ、良いことがあった日だけ

きままに書いてた。

高校生の時は手帳に書いてた。

スケジュール帳の右側のフリー欄に

悩みや夢など思いつくままにビッシリと。

書き終わったノートや手帳は、

箱に入れて保管してたんだけど…

18歳か19歳の時に捨てちゃったの。

きっかけは「失恋」

取っておいても何にもならない、

万が一誰かに読まれたらどうするんだ、

こんな恥ずかしいものは手放したい、と…

自分の本音が詰まった日記帳は、

その存在が大きすぎて、

持っているのが辛く感じる時があるんだよね。

特に自分が落ち込んでいるとき、

自分を励ます元気すら残っていないときに

「こんなの何の意味もないじゃないか」と

八つ当たりをしやすいんだよね。

書き終わった日記帳を捨てちゃったの。

本当に八つ当たりでしかないんだけど…

1年で書き終わる日記帳では、

過去の自分の失敗や応援が見られないから、

今のしくじりが人生最大の、

しかも最初で最後の過ちのように感じてしまう。

立ち直れないと思うかもしれない。

特に10代の3年間は記憶が生々しく、

読み返すと辛いと思うこともあるかもしれない。

せっかく日記を書くのであれば連用日記がいい。

保管が楽という利点もあるけど、

日記をやめたくなる、

日記帳を捨てたくなる、

そういう衝動を抑えることができるから。

過去は捨てるもんじゃなくて、取っておくもんだよ

T16『筆記用具と書き損じ』

日記の筆記用具は、油性ボールペン。

シャーペンとか消えるペンとかダメ。

長期保存時に向かないから。

それに、もっと大事なこと…

修正のきかないペンで左から右へ

どんどん書き進める勢いが大切。

文章の構成は考えない、

書いてる途中に読み返さない、

一気に今日の5行を埋めていく。

独り言をいうように書くのだから、

当然口より手の方が遅いわけだ。

とにかく自分の心に耳を傾けて、

一心不乱に心を書き綴る。一気にね。

もし読み返したいのなら、

それは今日の日記を書き終えてから。

日記は、その日の中で解決することは少ない。

日記を書いて、自分の心を分かっているから、

問題の解決のヒントを見つけた…

ということは本当によくある。

一度書き出した気持ちは本心。

カッコつけた言い方をするとか、

消して書き直すなようなことはしてはダメ。

間違えたところは、ぐちゃぐちゃってするか、

横棒を引っ張るか、そのまま放置。

誰かに添削をしてもらうものでもないし、

翌年プッと笑えたりもするから、

そのままにしておくのが面白い。

見た目なんか気にしないで。

誰にも見せないんだから。

書き終わった5years diaryを眺めていると、

段ごとに濃さや太さの違うボーペンの字

「味があるな」ってなんか感動。

その日の調子で文字の大きさや筆圧もバラバラ

これぞ手書きのいいところ、醍醐味だよな。

T17『未来日記との違い』

未来日記には未来のことを書く。

5years diaryには今の気持ちを書く。

この二つはどちらも「日記」だけど、

意味や使い方が違う。

未来日記は行動を抑制(強制)する力がある。

もう書いちゃったことを必死でやろうとする。

5years diaryには実際に起きたことと、

それについて思ったこと、

感じたことしか書かない。

この二つの日記は全く別もの。

人生へのアプローチのし方がまるで違う。

どっちがいいとか正しいとかじゃなくて、

「性質が異なるよ」って言いたいのね。

5years diaryのいいところは、

過去の自分の経験から学びを得るところ。

飾らない正直な自分の本音や本性を綴っている

自分の分身のような存在だからこそ、

その中には真実しかないと信じることができる。

今の悩みを解決するヒントになり得る。

未来日記を否定しているわけではないんだ。

もし書くのであれば5years diaryじゃなくて、

別のノートにしてねって言いたい。

T18『同じ失敗を繰り返さない』

これは人生にとても大事。

毎日は小さな成功と失敗でできている。

嬉しいことは「成功」、嫌なことは「失敗」。

日記には、思ったこと「感情」を書く。

つまりそれは、日々の

成功体験や失敗体験を

書いているということ。

それを書き残していると、

同じような失敗をしなくなる。

繰り返さなくなる。

失敗は些細なことほど書いておくべき。

失敗は繰り返すと被害が大きくなるから。

欲しくもない物をなぜか買ってしまった時…

後悔は、こんな風に書く

「なんで買っちゃったんだろう、

 せっかくのバイト代(おこづかい)を

 どうしてこんな使い方しちゃったんだろう、

 マジでいらないこんなもの!」

すんだことは仕方がない。

だけど思い出したくないからって

見て見ぬ振りをしたら、またやっちゃう。

無駄な買い物を後悔したという失敗は、

未来において無駄な買い物をしなくなる

大きな学びになるのだ。

失敗という貴重な経験から、

できるだけ多くの事を学び、

今後につなげていく為に5years diaryはある。

その辺のメモ帳じゃなくて、

毎日書いている大切な日記帳に

「なんで買っちゃったんだろう、

 せっかくのバイト代(おこづかい)を

 どうしてこんな使い方しちゃったんだろう、

 マジでいらないこんなもの!」

と、あえて書く必要がある。

自分の中に強い印象を残すために。

悪い癖は、小さい方が楽に直せる。

お金の使い方だけじゃない。

人との付き合い方。

知識の学び方。

いろんなことで。

5years diaryに悪い癖を書けば、

何でもかんでも直るのかというと、

「1回では直らないかもしれない」

だけど確実に減っていく。

そしていずれ直る。

これは本当のこと。

T19『なぜか褒められる』

これは不思議な現象なんだけど…

日記をつけていると言うと、

周囲から褒められる。

「偉いね」

「すごいね」

と言ってもらえる。

私は心の中では、

「どこが?」

「なんで?」

と思っているけど、

褒められるというのは無条件に嬉しいから、

ついデレデレしちゃうの。

小さい子供なら

「大きくなったね」

「偉いね」と、

頑張ったとか関係なく、

褒められることもあるよね。

大人になったらそうはいかない。

「部活も勉強もがんばってるよ」と言っても、

「みんなそうだよ」と軽くスルー。

なのに「日記つけてる」と言うと、

「えーすごいね」と即レス。

みんな、日記を書いていないんだな。

だって日記って全然すごいことじゃない。

ヘタレな自分を日々励まし、

誰にも知られたくないダークな心中を、

だたひたすらに毎日書き出してるだけ。

逆に日記に毒を吐かない人達は、

どうやって日々を乗り越えているのだろう?

「その方がすごいよ」というのが私の本音。

5years diaryという商品は確かに「すごい」。

「すごい良い習慣」だよ。

だから、すごいのは私じゃないんだ。

日記を書いている人がすごい人ではない。

誰だってできるし、

いつからだってできるし、

ちっとも大変じゃないのに、

たぶん多くの人が誤解をしてる。

私はいつか世界中の人が、

歯ブラシをするのと変わらないくらい当たり前に、

日記を書く習慣が根付くといいなと思ってる。

そうしたら日記を書いても褒められないだろうな。

歯ブラシを毎日したって誰も褒めてくれないもん。

褒められたくて始めるのは動機としては不純かな。

でも、結果として

日記をつけるという習慣が身に付くのであれば、

きっかけはそれでもいいんじゃない?

今ならまだ、褒めてくれる人はたくさんいる^^

褒められて悪い気はしないから、

やっぱりデレデレしちゃうよね。

T20『英語で書く?』

バイリンガルならいいけどね。

英語の勉強を兼ねて5years diaryを、

英語で書くのはお勧めしない…

私も過去に4カ月くらい英語で書いてたの。

知っている単語を並べて書いてみると、

5行だけなら案外なんとかやれた。

だけど、すぐに表現が単調になり、

言いたいことが上手く表現できなくなって、

同じ文ばかり繰り返し書いてしまった。

頑固な私は「一度決めたことだから」と、

できる限り続けたんだけど…

結局は断念。

今読み返すと、

チンプンカンプンとまではいかないけど、

何が言いたいのだろう?

どんな気持ちなのだろう?

と、自分でもよく分からない。

日本語であっても日記を書き終えたとき、

心とギャップを感じることがある。

感情をそのまま文章にすることは、

母国語であっても難しいもんだよね。

5years diaryは「思ったこと」を書く。

感情の記録だから、

自分の心を素直に表現できない言語で書いても、

読み返した時に得られるものは少ない。

でも英語の勉強をしている人が、

英語で日記を書くのは良いアイディアだよね。

その時は5years diaryではなく、

別のノートに書いた方がいいと思う。

5years diaryを書くときは日記を書く時間。

これは「思ったこと」を日本語を駆使して、

できるだけ忠実に書き綴り、

生涯手元に残しておく為にやっている行為。

一方で、英語で日記を書くときは、

英語を勉強する時間。

これは他人とコミュニケーションをとる為に、

英語で言いたいことを伝える訓練。

この時書いたへたくそな英語は、

書くネタが身近な方が覚えやすいから、

日記にしただけのことであって、

後日読み返す為に書いているのではない。

この二つを同時にできるって思って、

一緒にするのは効率がいいように思えるけど、

残念ながら逆なんだな。

失敗ってやってみないと分からないからね、

ドンマイッ!!

T21『デメリット』

これについては何度も考えたのだけど…

出てくる答えは「ありません」。

読み返すと恥ずかしい時があるくらいか?

だけど、この恥ずかしいところが実は、

5years diaryのいいところって言うのかな、

続けてよかったと思えるところでもあるから、

デメリットとは言えないな。

日記帳の保管は場所をとらないし、

書くにためにまとまった時間も必要ないし、

文字を書くという作業は大変じゃないし、

書く内容も難しくない。

1冊3000円くらいするからね、

10代の方には少し高く感じられかもだけど、

日記で心を健全に保つ方法を身に付けて、

書き終えた日記帳は一生の宝物になる。

じゃ、元がとれるし、コスパも悪くないよね。

やっぱりデメリットは思い浮かばない。

続かなくて自信を喪失したということなら、

日記をやめたことのデメリットでしょ。

だから日記を書くのデメリットではない。

「日記は百徳あって無害」

これが私が導き出した答えなんだけど、

誰か、別の意見を持っていたら教えてね。

T22『自分応援団』

本当はもっと頑張りたい。

もっともっと頑張れるのに…

なんで躊躇しちゃったんだろう。

引っ込み思案でもないし、

出し惜しみだってしてない。

なのに、なんで全力を出せないんだろう。

そういう日こそ日記を書くべき!

まずは情けない自分を思いっきりさらけ出し、

次はそうならないよう応援の言葉をかける。

他人に知られたくない本音、

カッコ悪い弱音を日記に書く。

自分にかけてほしい言葉、

こっぱずかしくなるような応援も、

どんどん日記に書く。

5years diaryの中で照れちゃダメ。

「ガンバレ、私」

「もっと頑張れる」

「Fight!」

「大丈夫」

他にもたくさんの言葉を使って、

自分を応援する自分が無数にいる。

普段、昼間に日記のことなんて考えない。

毎日日記を書くけれど、

日記を書くために生きているわけじゃないから。

だけど、ドジっちゃって、

恥ずかしいところを見られちゃったなぁ…

「やばい、へこたれそう」

と心がしんどくなった時、

私の5years diaryが頭をよぎることがある。

『過去の私が応援をしてくれている、

よしもうちょっと頑張ろう』

と思えてくる時がある。

5years diaryに良いことだけを書いたり、

未来の行動を書いたり、

夢や希望だけを書いては、

この応援団は作れない。

応援団の正体は、

過去のヘタレな自分たちだから、

ダメな日の…

情けない自分を書き残してこそ、

得られる効果じゃないかな。

そして、たぶん、

これは何年も書き続けなくても実感できる。

まずは5years diaryに

「思ったこと」を数日書いてみて。

すると日中

「あーもうダメかも」

と思った時、

過去の自分の言葉に背中を押されて、

勇気が湧いてくるのが分かるはず。

日記のことなんてすっかり忘れて、

作業に没頭していたのに不思議だよね。

そして

「今、頑張ってこれを乗り切ったら、

今日のダメダメな自分を日記に書こう」と、

過去の自分からの応援に感謝し、

未来の自分を励ましてやろうと思えてくる。

そうやって私はこれからも、

5years diaryに自分の応援団を育てていくんだろうな。

フレーッ!フレーッ!ジィ・ブゥ・ンッ!!

T23『誰にも見せない』

嫌だよね。

やましいことを書いているわけではないけど、

日記を誰かに読まれるなんて…

考えただけでゾッとする。

私の家族は日記を見たりしないから、

実際に見られたらどうなるかは分からない。

「日記にそんなことを書いてるのか」

と知られて困ることはないけど、

見られるのはとても不愉快。

私の両親と妹は、

日記を書いている私を、

珍しいものでも見るかのように眺めてたけど、

「何を書いているの?」

なんて、聞かれたことはなかった。

だけど夫は違う。

気になって仕方がないみたい。

夫「何書いてるのか教えてよ」

私「別に大したこと書いてないよ」

夫「じゃあ見せて」

私「嫌だよ」

夫「俺の悪口書いてるんだ~!」

私(子供かよっ!!!)

もし夫が私の日記をこっそり見るような人なら、

そもそも結婚してない。

人の日記を盗み見るような奴は信用できない。

そんな輩とは、絶対に付き合わない。

でも、この「見せて」事件は、

友達でも起こるんじゃないかな。

私の家族はそうじゃなかったけど、

こっそり日記を読んじゃう親だっているかも。

だから日記を書いていることを言わないで。

本当に信用できるまで、

この人は私の日記帳を見るような人じゃない、

そう確信を持てるまで、

5years diaryのことは内緒がいい。

毎日の事だし、

狭い家の中で、

5分だけでも一人きりになるのは難しいよね。

だから一緒に住む人には、

いずれは話さざるを得ないと思う。

でも始めてすぐに、

うっかりしゃべってしまうと、

相手の好奇心を煽ってしまう。

「ねぇ、何書いてるの?」と聞かれたら、

「答えたくない」とは言い辛いんだよね。

5years diaryの内容を共有していいのは、

過去と未来の自分だけ。

絶対に誰にも見られない安全地帯だから、

羽を伸ばし、本心を書くことができるんだ。

「誰かに見られたらどうしよう」

と思った瞬間、本音が書けなくなる。

見られた時の対策をした文章では、

5years diaryの効果は発揮できない。

「思ったこと」というのは形がないから、

捉えどころがなくて、

模写するようにきれいになんて

描くことはできないんだよ。

つらつらと文字を綴ることで、

ようやくその一部が表現できるかどうか…

つたない文章で大丈夫。

「思ったこと」を書いていると、

文になっているかどうかも怪しい、

変な文章になるものだから。

だけど、その他人が読んだら、

何を言っているのかさっぱり分からない文章が、

自分には写真でも見ているかのように理解でる。

5years diaryは他の誰でもない

自分の為だけに存在してる。

絶対に誰にも見せてはダメ。

見せることを考えることすらダメ。

T24『軸』

自分の主張がある人。

同調圧力に屈っしない人。

「芯がある」と言うとカッコイイ。

「ただの頑固」とも言えるけど。

たぶん私、頑固。

自覚はあるけど、周囲の人からもよく言われる。

だから本当にそうなんだろうな…って。

「卵が先か鶏が先か」

元々こういう性格だから日記を書いているのか、

日記を書いてたら主張がはっきりしてきたのか。

分からないと言えば分からないけど…

20年以上5years diaryを書き続けてきた、

私の意見は「日記の影響が無いはずがない」。

書いていて、よくあること。

「あー今、私ブレブレだな」って。

心の中にはいつも二人の私がいる。

「このままじゃいけない」

VS

「このままでいたい」

この闘いは誰でも経験があると思う。

日記を書いていると、

最初は「49vs51」のように互角の闘いにも、

いずれ決着がつく。

その勝者が自分の「軸」となっていく。

どちらの意見が勝つのか最初は分からない。

「このままじゃいけない」と「このままでいたい」は

どちらも同じくらい強くて、

五分五分なんだけど、

「その時」は必ず来る。

かかる時間は内容により異なるけど、

最後は割とあっけなく、一方が圧勝する感じ。

進学、恋愛、就職、子育てetc…

生きているというだけで、

毎日いろんな葛藤が生まれてくる。

日記にね、その成り行きを書いておくといいよ。

5years diaryの最も効果的な使い方。

全てのことは、過ぎてしまうと、

結果だけが記憶に残り、

「なぜそれを選んだのか?」

という過程を忘れてしまう。

だけど大切なのは「過程」の方。

それが「軸」だから。

ここで私の昔話をひとつ…

私が二十歳の年、

就職先の内定は決まっていて、

学校の卒業も問題はなく、

バイトと自動車教習所へ通う日々。

「このままじゃいけない」

毎日同じような流れでつまらない。

残り少ない学生生活で何か成し遂げられないか。

親元で生活をし、

バイト代で遊んでばかりいるけど、

大人になるのに本当にこれでいいのだろうか。

VS

「このままでいたい」

何かしたいけど変わるのが怖い。

4月からは新しい環境になるから今を楽しみたい。

悪いことをしているわけじゃないし、

甘えられる最後の学生時代をのんびりしたい。

このモヤモヤを抱えながら過ごす日々は苦しい。

だけど、焦って結論を出さず、

5years diaryに思いを綴りながら、

決着の時を待つしかない。

3ヵ月くらいだったけど、

この闘いを制したのは、

「このままでいたい」だった。

悩みは、次から次へとやってきて、

「入社した会社で働き続けられるだろうか」

についてnext fightが始まるんだけど、

焦って結論を出さず、

5years diaryに思いを綴って決着の時を待つ。

同じ結論を出していたとしても、

本物の「軸」を形成できるかどうかは、

その過程を覚えているかに寄るんじゃないかな。

過程を忘れてしまうと、

何度も同じ事で悩む羽目になり、

次もまた同じ結果を導き出せるか分からない。

軸は多少ブレてても、

無いよりはあった方がずっといい。

T25『どうしても書くことがない!』

夫と話していたら、

「書くことがなくて、

 日記帳の前でただ座っているのが辛い」

と言いました。

おそらく、今日という日を

全て書き出そうとしていたのだと思う。

たくさんの出来事を、

たった数行に凝縮するのは無理。

書くことがないのではなくて、

多すぎて決められないじゃないかな。

日記帳を開いて、

ふっと心に浮かんだ事を書き始めれば、

一日分はあっと言う間に埋まってしまうはず。

今日から冬の制服で学校に行った。

クラスのほとんどが冬服に衣替えをしていた。

放課後、部活に顔を出したら後輩から、

引退のお祝い会をしたいと言ってもらった。

来週の金曜日らしいけど、

塾の模試と重なってるからダメかもな。

そのまま塾に行ったけど、

少し暑かったからブレザーを部室で脱いだら

忘れてきちゃって…明日もまた行かなくちゃ。

これダメ!

今日あったことを羅列する日記はNG。

このパターンは後から読んだときに

「ふーん、それで?」

と自分でツッコミを入れたくなる。

思ったことを書いてないと、

「そなことあったっけな」とは思うけど、

鮮明な記憶が蘇ってこないんだよね。

冬服だぁ!ブレザー可愛いし、

なんかちょっと痩せて見えるから好き。

部室に忘れてきちゃったけど…

後輩が来週の金曜日に

引退のお祝い会をしたいって言ってくれたけど

塾の模試と重なってる。

言いにくいけどダメだよね。

明日ブレザー取りに行ったら謝ろう。

気持ちは嬉しいから、

ちゃんと「ありがとう」って

言えば分かってくれるよね。

こんなんでOK!

印象的だった出来事や会話を思い出したら、

それについて「思ったこと」を

5years diaryに書く。

もし、どこにも行かなかった、

誰にも合わなかった日であっても、

「思ったこと」を書くことは変わらない。

とりあえず机には向かっているけど、

気分が乗らない。

勉強しなきゃって思うし、

焦ってはいるんだけど…

結局、宿題しかしてない…。

アリ!

こんなこと書いても時間と紙の無駄だと思う?

それが違うんだな。

5years diaryを書いてきたから分かる。

こういった文章から、

「なぜ気分が乗らないのだろう」

「私はどうしたいのだろう」

という思いに発展していくんだよ。

そして対処方法を考えるきっかけとなって、

次に取る行動が変わってくの。

だから「何もしなかった日」はあっても、

「なにも考えなかった日」はなんだよ。

それでもやっぱり

「どうしても書くことがない」のであれば、

好きな歌詞を書いたらどうだろう?

私はやったことないけど…

好きな言葉を探していると、

調べる時間がかかるから、

好きなアーティストの

よく口ずさむ曲を歌いながら

書いてみたらいいんじゃない?

1行だけでも好きなフレーズを書いたら、

心がしゃべりだして日記を書く手が動き出すよ。

ウルトラソウル!ヘイッ!!

T26『自分を焚きつける』

2段目以下を書いていると

「昨年も同じことを書いているな」

と思うことが出てくる。

このブログを立ち上げたときもそう。

最初に5years diaryについて

発信したいと思ったのは、2020年の秋なのに…

1年間、やろうかやるまいか、

いろんな理由を並べて動けずにいた。

そんな風にウジウジ同じことばかり

書いている自分に「もうっ!」と思った。

「なんだぁ、なんだぁ、

ずっと同じこと夢見てぶつくさ言ってないで、

さっさと叶えてやりなよ!」と、

日記帳の中の自分が焚きつけてくる感じ。

私はこれが初めてじゃない。

過去に何度となく同じ気持ちを経験してきた。

何も行動を起こさないで、

何かを成し遂げることなんてできないことは

分かっているのだけど、

動くきっかけ、

原動力が充分でないときのモヤモヤは、

もう日記に書く以外の行き場がない。

モヤモヤを書いて、

またモヤモヤを書いて、

それを読み返してすごいモヤモヤして、

モヤモヤモヤモヤモヤモヤモヤモヤモヤモヤモヤモヤ

って限界になったら、

イラっとした自分に喝を入れられる…

5years diary(5年連用日記)は不思議。

私の事なんでも分かるんだな、

絶妙のタイミングで欲しい言葉をかけてくれるんだな、

って思う。

内容にもよるけど、

行動に移すまで数年かかることなんてざらだから、

翌年に動けたのであればGood jobだね。

いざ行動に移すと新たな悩み、

考えなければならなことがたくさん出てくるから、

初めの一歩のハードルを越えた日の記憶は

あっという間に薄れてしまう。

だけどこの気持ちを忘れる事はない。

日記帳の中の自分が、

ウジウジした自分を焚きつけてくる瞬間は、

なんと言うか、

「イタきもちい」みたいな?

苦しいけど爽快な感じ。

これは5years diary(5年連用日記)の特徴の一つ。

私は今ではこれを逆手に取る使い方をしていて、

ああしたいこうしたいを積極的に書いてる。

特に上段にたくさんね。

そして下段の方で伏線回収、

夢を叶えるべく実行に繋げていくよ。

3years diaryも同じだと思う。

10代の3年間というのは、

大人の5年間と変わらないくらい

環境や心境の変化が大きいから、

3段の方が使いやすいんじゃないかな。

燻ってる思いがあるなら、

まずは日記に書いちゃいなよ!

T27『チャンスが来てる』

ピンチはチャンスだ。

言い換えると、

ピンチの無いところにチャンスは無い。

思い返してみると

「あのピンチを切り抜けたから今があるな」

と分かるのだけど、

ピンチの渦中にいるときは、

意外とそのことに気が付かない。

どうしよう、なんとかしなくちゃ…

という不安で頭がいっぱいで、

辛い現状を打破することしか考えられないよね。

チャンスだとかのん気なこと言ってられない…

気が回らないのよね。

5years diaryを書いていると、

このチャンスにいち早く気が付くことができる。

日記を書きながらとか、

今日書いた5行を読み返した時に、

「あー、マズイなぁ」とか

「なんかヤバイくない?」という感想を持ったら、

それはピンチだと自覚できる。

ピンチとは一世一代の大勝負だけじゃない。

日常生活に当たり前のように存在してる。

例えば、

やりたくない仕事を押し付けられそうなとき、

部屋が散らかってるのに人が来ちゃったとき、

宿題が提出期限に間に合わなそうなとき、

着ている洋服が気に入らなくて憂鬱な日、

どんなことでも「ゲッ」と思ったら

それは全てピンチ!

つまりチャンス!!

「は?そんなこと?」って思う?

「はい、そんなことです」

そもそもチャンスは、

何もないところに作ろうと思って作れるものではない。

転がっているピンチをチャンスに転じる他ない。

オセロの黒を白にひっくり返すみたいな感じ。

じゃぁ、それは一体「何のチャンス」なの?

というと、それは、その時点では分からない。

ピンチを乗り越えてみないと、

チャンスの正体を知り得ないの。

時間は待ってくれない。

出来事には必ず終わりがある。

ピンチをチャンスに転じて成功体験とできたのかを

5years diaryに書き残すことで学びを得る。

些細なピンチを「チャンスに転じているんだ」

という自覚をもって日々を過ごしていると、

大きなピンチが来た時にも動揺せずに立ち向かえる。

辛く長いピンチも、

何かのチャンスであると分かっているから、

逃げ出さずに頑張れる。

5years diaryを読み返せば、

自分がいかにたくさんのピンチを

チャンスに転じてきたのかを知り驚くと思うよ。

毎日少しずつ自力をつけてきた自分に

「なかなかやるじゃん」と、

誇らしい気持ちになるの。

そういう風に自身を振り返ることができるツールを、

私は他に知らないけど、すごくいいよ。

T28『期待し過ぎ』

日記を書いて…

「夢を叶えよう」

「表現力を磨こう」

「語彙を増やそう」

「記憶力を鍛えよう」

「綺麗な字を習得しよう」

「語学勉強のツールにしよう」

などと思ってる?

日記に多くの期待をし過ぎ。

結果としてそういう効果はあるかもだけど、

はなからそんな期待をしていては続かない。

せっかく5years diaryを始めるのだから、

いろいろ意味を詰め込みたくなる気持ちは分かる。

でも、5years diaryを書くことで、

こうしたスキルアップは期待しない方がいい。

挫折の原因になってしまう。

日記を書いて鍛えられるのは「心」。

「え、心だけ?じゃぁ、やらない」

ってなる?

だから皆やっていないんだよね。たぶん。

だけど考えてみてほしいな。

「語学を習得して、蓄えた語彙を生かし、

磨き上げた表現力と覚えた知識を駆使して

一財産築いた小説家」の「心」が弱いはずがない。

(でしょ?)

スキルアップを果たす為には、

鍛えられた「心」が必要だと思う。

スキルアップには、

それ専用の行動を取らなといけないけど、

習得できるまで粘れるかどうかは、

「心」にかかってる。

5years diaryで「心」を鍛えつつ、

別の努力でスキルアップを狙うのが

本筋なんじゃないかな。

日記とスキルアップを

一緒くたにするのはよくないアイディアだけど、

同時並行で進めることはでる。

その方がむしろ良いと思う。

5years diaryには「思ったこと」を書く。

それも1日たったの5行だけ。

あれもそれもと欲張った期待に応えられるほどの、

努力と言えるほどの事はしていないんだよね。

日記は誰にでもできる、

努力のいらない簡単な作業なの。

だけどこの簡単な作業を、

長い年月をかけ繰り返すことで

「心」は確実に強くなっていく。

日記を書いていて良かったと思える日は、

必ずやってくる。

スキルアップとは違う形ので見返りが絶対にある。

5years diaryを書いた人にしか分からない

この見返りについて伝えようと、

私はこうしてブログを書いていのだけど、

これがなかなか難しい…

まずは、やってみてほしい。

T29『ドキドキ』

過去の日記を読み返すと、

「恥ずかしすぎる!無理!!」

と日記帳を閉じてしまいたくなるようなら、

それはよく書けている証拠。

5years diaryの使い方として、大成功。

人に見られた時の事を意識して書いた文章は、

感情が乗らず本音が書けない。

本音の中にしか本当の目標(夢)や

反省は綴られることはない。

だから、もし「そんなこともあったけな」と

ケロッと読めてしまうようなら、

5years diaryを生かし切れてないといえる。

私も昔の日記を見るときはドキドキします。

顔が真っ赤になって、

変な汗をかくし、

息が苦しいし、

ドキドキし過ぎて首の脈が痛くなるほど…

本気で変わりたいと悩んでいる姿とか、

夢が叶って無茶苦茶浮かれてる様子とかね、

もう恥ずかし過ぎて見てられないんだよね。

だけど少し息を整えて、

他人事と思ってよく見てみて。

例えば、友達や兄弟姉妹の話だったら、

と置き換えて読んでみて。

「すごい頑張ってるな」

「偉い!やったね」

と素直に褒め称えることができない?

つまりね、

他人からは自分がそう見られてるってこと。

身近な人からの評価というのは、

面と向かって言ってもらうことはあまりない。

だから友達や家族が自分をどう見てるかは、

知ることができないんだよね。

学生の時は生活態度という形で評価されるし、

社会人になれば給与やボーナスの査定といった

面談は何度もある。

だけどそういう人たちの評価は本当じゃない。

私の全部を知らないくせに勝手なことを言う、

一瞬、一面しか見てないような他人に

自分の評価を預けてはいけません。

「この人には私がそういう風に見えているのか」

と受け入れることはあっても、

そこで言われたことが全てではない。

丸呑みをしてはダメです。

本当の自分を綴った日記を見て恥ずかしいのは、

日々の頑張りの記録を見て、

自分で自分を正しく評価できるから。

自分だけはそれを見て、

赤面しながら「あっぱれあっぱれ」

(とは言わないかもだけど)

と大いに褒め称えていいんだよ。

自分の本当の姿を知るのはいいこと。

「私は意思が弱くて日記とか続かないから」

と自分に厳しい人がいるけど、

書くメリットを感じないからやめたのでしょう?

その時はそういう選択をしただけのこと。

私はそういう人の意思は弱くないと思うよ。

どちらかというと強いんじゃないかな?

だって、止めるのもけっこう勇気がいるもんね。

もしまた書いてみたいと思うのであればやってごらんよ。

続かないかもと思うのであれば

「また続かないかも」と日記に書いてごらんよ。

そして来年、

それを読み返しながら

「ドキドキ」しようよ。

T30『デコってはならぬ』

せっかく買った日記帳だもんね。

自分専用にかわいくしたくなるよね。

地味な市販品の日記帳をデコりたくなるよね。

だけど、これはグッと我慢だ…

スタンプのインクや、シールの糊は

長期保存に向いてないことが多い。

カラーペンも何十年も経つと色が変わっていたり…

5years diaryは生涯手元に置いておくものだから、

これから先、何十年と保管するの。

だから、キレイに取っておくために、

経年劣化するものを使わないで。

好みが変わることもある。

色やデザインはなるべくないものを、

ボールペンの文字だけで書き進めるのがいい。

日記帳に日記を書く以外で、

私がやっていてこれは良かったなと思う事は、

証明写真を巻末に貼ることかな。

履歴書、免許証、パスポート、TOEICなんかでも

証明写真の余りが出てしまう。

私はそれを1コマ切り取って、

余白ページみたいなところに貼ってる。

そして「2001年免許証」のようにメモする。

20年前の写真は色あせて、

セピア色っぽくなっているけど、

それほど劣化はひどくない。

別にやらなくてもいいこと。

これは「楽しい」というだけで、

メリットとかじゃない。

最近撮った証明写真の場合、

今持っている免許証の写真と同じだから、

何が面白いか分からないと思う。

でも20年前の証明写真って

意外と残っていないんだ。

スナップ写真と違って

共有している人もいないし。

財布に入れて毎日持ち歩いてたのに、

すっかり忘れ去られちゃうなんて、

なんか寂しいかなって…

写真はアルバムやデータ保管が主流だよね。

もし、あの小さくて他に行き場のない写真を

取っておくなら5years diaryなんてどう?

T31『○○日記』

5years diaryは「思ったこと」を記録し、

その綴られた本心から学びを得るためのツール。

なので、記録のような日記には不向き。

例えば、

ダイエット日記、

勉強の日記、

夢を達成するまでの日記など、

期限を区切って頑張りたい事や

誰かと中身を共有するかもしれない内容は

5years diaryではなく、

個別のノートを用いる方がいい。

夢を叶える為に記録を残すのだとすると、

達成までは期間が短い方がいいよね。

5年後に10kg痩せたいとか、

5年以内に海外旅行にいきたいなど、

そもそものゴール設定が長すぎると

目標が間延びしてしまう。

もちろん、

日々の日記でこうした内容はよく出る。

できるだけ最短で叶えようと頑張ったけど、

結果として5年かかってしまった…

ということはある。

だけど結果としてそうなったのであって、

5年後にゴールを定めてたわけではない。

そしてダイエットや勉強など、

目標を達成した後にその「ノート」を

誰かに見せる場合もあると思うので、

5years diaryは使わない方がいい。

5years diaryにはどうしても

日常の感情を綴らないといけない。

だから将来、

誰かに見せることを前提に書く日記には

自分の本当の感情が書けなくて、

(いいことばかりではないでしょう?)

続けるのが苦しくなるってしまう。

私の日記帳には

いろいろなことが

同時並行で書かれている。

もちろんダイエットや、

やってみたい事にかかるお金の悩みなど

一喜一憂が恥ずかしいくらい正直に…

全てをさらけ出すことで後日、

その時の記憶が鮮明に蘇ってくるんだよね。

そして将来、

思い出話として誰かに語ることができる。

だから、目的別の日記は別に用意しよう。

T32『日記をつけないとどうなるのか』

別に何も変わらない。

今まで通りだよ。

5yearsdiaryを始めることにデメリットはない。

そして、始めない事によるデメリットもない。

メリットを享受することがないだけ。

そのメリットは今まで無かったものだから、

これから先だって無くても困らないんじゃない?

夫が、前に私にこう言った。

「歯磨きはしないと虫歯になるけど、

日記は書かなくたって体調は悪くならない、

メリットもデメリットも分からないから、

書く意味が分からない、

面倒くさいとしか思えない」

確かにそうだけど、

なんとなく違和感を感じたので、

私なりに考えてみた。

そして「心だって不調になる」

という答えに至った。

これを読んでいる人は、

日記についてメリットや

デメリットが知りたいと思っているから、

ネットで検索をしてきたのでしょう?

自分には日記が有効じゃないかと、

なんとなく気が付いているんだよね。

たぶん、

心がね、

ちょっと虫歯になりかけている

(不調になりかけている)

のだと思う。

虫歯は目に見えるから、

ダメになったところを丸っと削って、

金属を詰めてしまえば

歯としての機能は取り戻せる。

一方、

心は蝕まれていることが

目には見えないから、

自分の直感が頼りになる。

心のケアは、

ダメなところを削り取ったりできない。

他の物に差し替える事もできない。

だから日々、

日記に思いを書き出して

循環を促してやる必要があると思うの。

最初は綺麗な水も、

ずっと入れ替えなければ、

いずれ澱んでゆく。

それになんとなく気が付いて、

日記の事を調べていたのではない?

なら正解ですよ。

5years diaryはそういう人の役に立つツール。

5years diaryは「思ったこと」を

1日5行書くだけの簡単な作業。

リスクや痛みを伴うような大変な作業ではない。

必要なスキルは字が書けるということだけ。

未来・現在・過去いろんな角度から

様々なメリットをもたらしてくれる。

きっと今抱えているモヤモヤも解消される。

予め知っていて欲しいのは、

ほんの数日で効果を期待してはいけないという事。

心の不調というか、

今のモヤモヤが

腑に落ちるまでは年月がかかる。

そして新たに生まれ続ける

モヤモヤを対処するためには、

たぶん一生日記を書き続ける必要がある。

だけど、それは

面倒を背負い込んだことにはならないよ。

歯を磨くのと同じで、

心を洗ういい習慣を身に付けるの。

日記を書かなくたって生きけるし、

どうせ見えやしない

心のモヤモヤを

無視し続けている人の方が多いと思う。

だけど、もし、

今を少し変えたいと思うなら、

連用日記を始めてみるべき。

嫌になったら止めればいいんだよ。

また今と同じに戻るだけだから。

T33『時のものさし』

私は数字だけを見ても

いまいち時間や日数のイメージが湧かない。

アナログなツールを使い、

視覚的に捉えやすい感覚に

変換して認識している感じ。

例えばデジタルの時計で

13:00と表示されていて、

13:15には出掛けなきゃならないとき、

「15分」と分かってはいるのだけど、

数字からでは長さを掴みにくいと言うのかな…

私はアナログ時計を思い浮かべ、

その角度をイメージする。

「上の針が横にくるまで」と

頭の中に90度の直角を思い浮かべる。

そうすると遅れずに支度ができる。

そんな要領でこんな風に考えている。

1日は日記帳の5行分、

1年は日記帳の1段分、

5年は日記帳1冊分。

カレンダーの日付は数字で見れば、

分かりやすいのだけど、

時の長さを実感できないので、

デジタル時計の15分と同じく、

感覚が掴めなくなって、

支度が遅すぎたり早すぎたり…

見誤ってしまう。

5years diaryは1カ月・半年・1年という

長い時をはかるものさしになる。

私は10代の方、特に中高生には

3years diaryがいいんじゃないかと思ってる。

中学校・高校は日記帳1冊分と

区切りのいい期間を

感覚で覚えることができるかなって。

1年生からである必要はないよ。

「この日記長の1段目は中学生だったんだよな」

「この日記帳の3段目を書いている自分は大学生か」など、

いつからでも連用日記の良さは実感できる。

ずっと先に続く空白に

「この日記帳を書き終えるまでにこうしたい」

という大きな夢を抱いて、

一日に1コマしか進めないもどかしさを

知るのは素晴らしい経験になるよ。

あなたは、時の見積りをできてる?

T34『どーどー落ち着け私』

私の子供が「歩くより走る方が好き」と言った。

私は「なんで?走ると息が苦しくなって途中で止まっちゃうかもしれなから、歩いた方がよくない?」と聞いた。

子供は「走った方が早く着くし、一番になりたいよ」と答えた。

私は「でも走っているとコケた時ケガするし、一番じゃなくてもいいんじゃない?」と続けた。

子供は「大丈夫だよ、転ばないし、最後まで走れるよ、絶対に負けたくないよ!」と言った。

そうだよね。

それよく分かる。

私も好奇心が旺盛なうえ、

負けず嫌いなので、

つい前のめりになりがち。

自分の積極的なところは好き。

でも人のアドバイスも聞かず突っ走ってしまう

悪い癖があるのを自覚してる。

歩いた方がいいと頭では分かっているのに、

走り出したくなっちゃう、

こんなペースで走ってたら最後まで持たないのに…

結局は止まる方法が分からず、

もうケガするのを覚悟してコケるしかない、

捨て身の作戦を取らざるを得なかった

という経験もある。

「どうせ買うなら一番ハイスペックなものを」

「せっかくだからフルオプションで」

「いずれ必要になるから一式まるごと」

一体なにに勝とうとしているのか分からないけど、

盛らずにはいられない。

使いこなせなかったPC、

忙しいだけの旅行、

手つかずのまま捨てた教材、

集めちゃった玩具、

止め時が分からない習い事oh…no…

突っ走って良いことはあまりない。

コケて血だらだらの膝小僧を抱えて、

メソメソ泣く羽目になるになる。

徐々にかさぶたができ、

治る過程で

「あぁ、またやっちまった」

と反省し、

惨めな自分を日記にさらけ出す。

日記帳はいつだって優しい。

この程度で済んでヨカッタネ…、

次は気を付けるんだよ、

そういうとこ直した方がいいよ、

と根気強く

何度も繰り返し語りかけてくれる。

5years diaryにこうした経験を書き出すことで、

自然と歩き方を学ぶことができる。

走らないということは

勝負をしないということではなく、

確実にゴールにたどり着く為の作戦なんだよ。

そう子供に教えてあげたいけど、

誰かに言われてもピンとこないんだよね。

経験を通して自分で学んでいってね。

そして10年をかけ、

私は盛り上がって来た気分を

「どーどー」となだめる技を身に付けたの。

突っ走りたくなる気持ちが

湧いてこなくなるのではないの。

「猪突猛進!」

と叫びながら駆け出したくなるときに、

「どーどー落ち着け私」

という声を聞けるようになってきたの。

10年もかけたのかよ、

と笑ってくれて構わないよ。

人生は長く、

私は100歳まで生きたいなぁと思ってるから、

10年かかったけど

30代で改善されたのだから、

残りの70年は安心ってわけ。

私は歩くことが大好き。

T35『もう!日記に書いちゃうからね!!』

すごく怒ってムカついた時、

私のような気性が荒い系の人は、

つい言い返しちゃうよね。

語気強めで、

相手を傷つける事を

衝動的に言い放ってしまう…

後になって、

あんなこと言わなければよかった、

できることなら撤回したいと心底悔やんでも、

放たれた言葉は回収できず、

時すでに遅し…

怒りの気持ちを出さないというのは、

健全ではないと思う。

だけど感情的に、

その場で相手にぶつけるのはよろしくない。

できれば一旦持ち帰って、

対策を練ってから反撃に出たい。

カッとなって喧嘩になっても

勝算があるか分からないし、

みっともないと思われるのは避けたいから、

したたかに行くのよ。

そんな時に使える、

魔法の言葉を教えてあげる。

この記事のタイトル

「もう!日記に書いちゃうからね!!」

を心の中で絶叫するの。

驚くくらいスッキリするはず。

検体数は残念ながら私ひとりきりだけど、

20年以上に渡り数百回は実験済み。

そして帰宅後、日記帳に

めたくそのけちょんけちょんに書いちゃう。

完膚なきまでのフルボッコにしてやるぜ。

日記帳の中は完全なるプライベート空間。

だから、何をどう書いても大丈夫。

書き出すことで、

どう反撃に出るか

同時に考える事もできるしね。

その場で感情を爆発させないというのは、

周囲にも好印象。

大人の対応というやつ。

何より、

売り言葉に買い言葉で

ヒドイことを言ってしまった自分を

他人に見られなくて済む。

ああいう姿を誰かに見られるというのは耐え難い…

私の5years diaryには、

ここだけの話、

悪口もいっぱい書いてある。

でも後から見て

「言わなくてよかったぁ~」

ってほっと胸を撫でおろすことばっかり。

だってね、

次回読んだときには、

その時の気持ちが変わってしまって、

もうそんな風に思ってない事が多いの。

フルボッコにした人に、

そこまで言わなくてもよかったと、

言い過ぎたことの謝罪を書いたこともあるくらい。

日記の中なのにね、

1人で何やってんだろう(アハハ)

その場で何かを言い返したところで、

解決する事はほとんどない。

その事件をきっかけに行動を改めた結果、

状況が変るものだから。

それは直後ではなくて、

年月がかかるんだよね。

だから怒っている時間を

日記の中でやり過ごすの。

この時間稼ぎのおかげで

助かったことが何度となくある。

ちゃんと心の中で言うんだよ。

声に出すと変な人だと思われちゃうからね。

T36『もう一度、挫折してるんだ』

「俺だって書きたいと思っているよ」

と夫が言ったのが意外だった。

だって書きたいと思ってないから、

書いていないのだと思っていたから。

自分の誓いを破ったトラウマというのかな。

「挫折」を認めるのは

自分で自分を裏切っちゃったみたいな

嫌な気分だよね。

5years diaryを続けてるニッキーには、

そんな悩み分かるはずないって反論したい?

分かるよ。

私ね、日記は続いてるよ、日記は、ね。

だけど、

ダイエットとか、

禁酒とか、

綺麗なお部屋を維持しようとか、

挫折いっぱいしてる。しまくり。

今日からやろう、

毎日やろう、

1日1回、5分だけでも、

と固く誓ったはずなのに、

こんな最小限の目標すら守れないどころか、

しれっと言い訳して、

あっさりと撤回して、

平気で無かった事にちゃう自分のふてぶてしさを、

日記に残していて気付いたことがあるの。

私はどうやら、

挫折を悪いことと思っていない節がある。

それどころか挫折を肯定しているみたい。

日記をつけていると

「何でやめたのか」

を把握できるの。

止めたことにも理由がある。

「言い訳」がそれにあたる。

「よし!ダイエットをするぞ!」と決心し、

ゆっくり食べよう、

少しだけ食べるようにしようって昨日誓ったのに、

朝までは確かにそう思ってたのに、

昼になったら別人になってしまったみたい…

お友達とトンカツを食べてしまっている、

おみそ汁とキャベツのお代わりください…

そして夜、言い訳を書くのさ。

日記帳にね、

「お友達とのランチを断れるわけないじゃん、

この体型も悪くないかもだよ」

とか書ちゃう。

自分の図太さに唖然としますが、

恥を承知で自論を展開させていただきます。

私はこの日、2つ決断をしてるの。

1つ目は「ダイエットをしよう」

2つ目は「このままの体型でいい」

これは1回の小さな挫折だけど、

2回の小さな決断とも言える。

最初は1にしようと思ったけど、

やっぱり2にしよう、

と意見を変えるのは恥ずかしいことではない。

理由は「その方がいいと思ったから」で十分。

自分で納得して、

選択を変えただけだから、

不思議と後悔はしていないの。

むしろちゃんと考えた結果、

結論を覆したので満足度が上がってたりする。

日記に挫折した人は、何でやめたのか言える?

理由が言える人は

「必要ない」と決断を下したということだから、

その答えに満足していると思う。

だけど

「俺だって書きたいと思っているよ」と言う人は、

やめた理由が分かってないと思う。

やめた理由が分からないから、

「自分は根性がないんだ」

とか言い出しちゃうと思うの。

でもたぶんそうじゃないから、

無駄に自分を責めない方がいい。

そして、思考を止めない方がいい。

思考停止は最悪。

「ダイエットしようかな、いや、もう考えるのをやめよう」

これが一番ダメ。

何も決めないことは、

挫折もしないけど、

納得した決断も下さないという逃げでしかない。

「もう一度日記書いてみるよ」と決断をし、

「やっぱり止めるよ」と、

きっちり決断を下せたら、

それは挫折ではなく納得の結果になる。

開き直りも大事だよね。

(えっへん)

T37『コツコツのコツ』

「ニッキーはコツコツ頑張るのが得意だよね、生まれつきっていうか、元々そういう性格なんじゃないの?」

と夫に言われた。

私がこうしてブログを更新しているのを見て、

褒めてくれているのかと思いきや(!)

どうやら、

日記を続けているのは

そもそも特殊能力でも備わってるからじゃないの?

誰だってできることなんじゃないじゃないの?

と疑っているみたい。

コツコツ頑張るには「コツ」があるのですよ。

5years diaryをつけることです。

「またそれかよー!」

という声が聞こえてきそうだけど…

無視させてください。

だって本当のことだもん。

私だってね、

だぁ~れも見てないブログを

こうして更新しているのが馬鹿らしいな、

無駄なんじゃないかな、って思うよ。

だけど今日も書く。

明日も書く。

「コツ」はね、日記帳に全てを打ち明けること。

「言いたい事はちゃんと伝わっているのだろうか」

と不安を打ち明け、

「いつか誰かの目に留まるよ」

と自分を励まし、

「このブログを読んで日記を始めたんです、とか言われてみたいなぁ~」

と夢を語り、

「その日が来るまで頑張るぞ!」

と決意表明をしているのよ。

5years diaryを始めることに能力はいらない。

発想が逆なの。

5years diaryをつけていると、

コツコツ頑張る能力が身に付くの。

しかも頑張ってないし、ムリもしてない。

この能力は、けっこう魅力的でしょ?

無理なくコツコツ頑張れる能力は、

あった方がいいに決まってる。

だからこうして5years diaryを勧めているの。

せっかく始めたのに

「続かなかった」

って言う人が多いから、

勿体ないな、

日記の良さをちゃんと伝えられたらいいのにって、

本気で思ってる。

日記を書くこと自体が、

それだけで既に良いこと。

気持ちの整理がつき、

感情をコントロールでき、

モチベーションを保てるとか、

もう皆そんなことは分かっているはず。

ただ、「コツ」を知らないだけなんだよね。

どうやったら毎日コツコツ続けられるのかを

「思ったことを書くだけ」なんて

一言では終わらせられないから、

私はこれからもしつこくコツコツと

「コツ」を書いていくつもり。

T38『日記を武器に』

けっこう分厚くて頑丈だからね、

背後から人が近づいてきたら、

これで殴るのもありかもしれない。

だけど、

ここで伝えたいことはちょっと違うんだな。

日記は強力な盾になる。

生きているということは、

それだけで闘いを繰り返さないといけない。

だから、

みんな各々が自分の武器を持ち、

技を磨き、戦略を練ってるんだよね。

突然だけど、

自分について書かれた文章を読んだことがある?

有名人なら誰かが書いてくれるかもしれなけど、

大抵の人は何者でもないので、

自分で書くしかない。

自分という題材をテーマに毎日書く5行は、

積み重なると強力な武器になる。

感情的に書いた文章も、

適当に書いた文章も、

時間をおいて読み返すと

自分を冷静に分析する貴重な資料であり、

自分に合った戦略を編み出す武器となる。

鍛錬を積み重ねた日々のことを、

「練習は裏切らない」

とアスリートは言うけど、

5years diaryもまた、

あなたを裏切ることはない。

世の中には理不尽な事がいっぱいあるよね。

自分が悪いわけでも、

誰が悪いわけでもないから、

闘い方が分からず戸惑ってしまうことがある。

スポーツの試合であれば、

対戦相手が見えるから、

戦いようがあるけど…

自然の猛威や、

集団による間違った行動など、

理不尽な目に見えない敵を相手にする場合、

どう応戦していいのか分からない。

「理不尽」は強敵。

容赦なく叩きのめしてくる、

とても嫌な存在。

そんな奴にノーガードで打たれ放題にされないで。

5years diaryに

「こんなはずじゃなかった」

「なんで自分だけが」

と途方に暮れる気持ちを書いてみて。

直視するのが辛い現実に

涙を流しながら日記に書くのは

辛いけど、毎日続けて。

「理不尽」に立ち向かう勇気は

そうやって育てることができる。

日記帳が「心」を守る盾になってくれる。

「守ってばかりいても勝てないじゃないか」

と思うかもしれないけど、

「負けない」と言うのは強いよ。

勝つ方法が分からなくても、

負けない方法を知っていれば、

こんなに心強いことはない。

負けなければ、いつかは勝つ。

どうして盾を持たないの?

T39『本気の5分間』

まさかとは思うけど、

TVを付けたままとか、

スマホをチラチラ見ながら日記を書いないよね?

日記を書いている5分間は、

ボケっと過ごす5分間とは訳が違う。

自分の心と向き合う、本気の5分間。

私は、日記は誰にでも簡単に書けると言ってるけど、

「ながら作業をしながら、とりあえず埋めました」

は、良しとは言いません。

他のことを考えながら

何十分もかけて書いた文章では意味がない。

それは無駄な時間と労力になりかねないよ。

なぜそんなこと知ってるかと言うと…

私もそういう日があるから。

正確には、「あったから」。

もっと正確に言うと、

「今でもたまーにあるっちゃあるけど、

昔に比べればだいぶ減った」の。

たまにやっちゃう…

そして後悔する…

TVを見ながら、

コマーシャルの間に書いちゃおう、

日記帳とボールペンをもって

食卓に座って書こうって思ったんだけど…

そしたらちっとも書けていないのに

番組が終わってしまって、

次の番組が始まる前に書いちゃおうって思って、

その前にトイレ行こうってなって、

戻ってきたら次の番組始まっちゃって、

日記帳を抱っこしながら2時間テレビ見た、

という日がね…

結局はTVを消すか部屋にこもって、

5分間の全集中が一番効率がいい。

毎日書いているからね、

こんな日記がたまにあっても

内容については特に問題はない。

おそらくそれほど書きたいことがないから、

こんな行動を取っているのだろうからね。

問題は、書いた内容ではなく、

書いているときのスッキリ感の違い。

歯磨き粉を付けて歯を磨くのと、

何も付けないで磨くのとの違い

(それ以上かも!)くらい違う。

音を遮断して日記帳に向き合うと、

さっきまでは「書くことないな」と思ってたのに、

なんだか急に「書きたくなってきた」となり、

一気に埋まる。

そして、とってもスッキリする。

どんな内容であれ、

こんな風に1日5行を埋めていくことをお勧めする。

スッキリした日はデトックスできた日、

本音が出た日、という事になる。

本音を書き溜めて、

ここから学んでいくのだから、

まずは今日「本音を引き出す本気の5分」を

5years diaryと過ごしてね。

ひとこと:ラジオもメッ!!

T40『夢を育てる』

「ああしたいな」

「こうならいいのにな」

というのは夢の種。

夢は公言した方が叶うと聞いたことがあるけど、

まだ種の段階で人に言うのは早すぎると思う。

他人は自分以外の人の夢の種を平気で笑ったり、

否定したりするから。

「そんなの無理だって!」

「なに夢みたいなこと言ってんだよ」

と笑われたら、

種はどっかに飛んで行ってしう。

種をまくのに相応しい場所は

5years diaryの中。

どんなに小さな種でも、

たくさんたくさんまいていい。

日記を書き続けるというのは、

種をまき、

水をやり、

土を手入れしてるのと同じなの。

自分の大切な夢の種は、

自分の手で育てていくんだよ。

他人に公言する前に、

自分に宣言をするのが先。

素敵な人になりたいな、

もっとやりがいのある仕事がしたいな、

いつか買いたいものがある…

芽の出る早さは異なるけど、

ちゃんと世話をすれば、芽は必ず出る。

それは綺麗な花を咲かせるのか、

大きな木になるのか分からないけど、

ずっと自分の手で育ててゆかなければならない。

人に話すのはそれから。

咲き乱れるお花畑に、元気のない花が出てくる。

しおれかけた花や、

なかなか育たない木は、

もう育てても意味がないんじゃないかと、

諦めそうになった時、他人に話す。

すると、害虫駆除を手伝ってくれたり、

いい肥料を教えてくれたりして、

これまでの頑張りに応えるように、

助けてくれるの。

種をまくところから手伝ってくれる人はいない。

誰もが自分の畑の手入れで忙しいんだから。

5years diaryをつけていなくても、

夢を叶えている人はたくさんいる。

きっとご自身の畑の在りかを、

しっかりと認識されているのだと思う。

私にはその方法が分からない。

だからもし、

これを読んでくれている人が、

夢を育てるのに最適な場所を探しているのだとしたら、

5years diaryはどうだろうかと提案したい。

T41『忙しくて忘れる』

学校に行って、

部活をやって、

塾に行ったり、

バイトに行ったり、

そんなこんなで今日が終わっていた、

っていう毎日だよね。

忙しい日に忙しかったことを書き残していないと、

その日のことはあっという間に忘れてしまう。

あのね、

忙しい日だからこそ、

日記を書くことが大事だと思う。

「忙しい」は、「心」を「亡くす」と書く。

「忘れる」もまた、「心」を「亡くす」と書く。

心というのはなくしやすいんだね。

思ったことが

心に留まっている滞在時間は

とっても短い、

だからサッと捕まえて、

チャチャっと日記に書き残しちゃうのがいい。

忙しかった日というのは、

得たものが多かったはずなの。

得るものが多すぎて、

処理しきれないから、

すぐに忘れてしまうのだと私は思う。

私の経験だけど、

20代は仕事に追われ、

30代は仕事と育児に追われ、

40代はこれまでのことに加えて、

更に夢を追いかけてる。

こんなに充実した日々を書き残さずにはいられないよ。

5years diaryに綴って、

未来の自分にプレゼントするんだ。

サッと書くためには、

日付の入った日記帳の方がおススメ。

それ以外のコツは、

あまりルールを作らないこと。

書く場所、

書く時間、

書く内容など、

なんとなく決めておくのはいいけど、

「そうでなければならない」

と決まりを作ってしまうと、

続けにくくなっちゃう。

ルールが無理のないルーティン化されていれば

大丈夫だと思うけど、

たまにできない日があった時、

例外を認める事ができないと、

日記がルーティンから外されてしまうでしょ?

書くか、書かないかの2択に追い込まないで。

一生書いてゆくのだから、

ゆるっと、気長に続けるイメージが大事。

忙しいから書かないのじゃなくて、

忙しいからこそ

忘れないために書く必要があるんじゃないかな。

T42『自分のSOSにいち早く気が付いてあげられるのは自分だ』

心の底から助けを求めているのに、

気が付いてもらえないのは苦しい。

ここで、私の経験をここで共有させてね。

きっと同じ悩みに陥っている方の

お役に立てると思うから。

私も過去に辛かったことがある。

汚泥のようなものが

どんどん心に流れ込んできて、

掻き出しても掻き出しても

全く排出が間に合わず、

とても苦しかった。

家族には辛く当たり、

職場でも迷惑をかけてしまった。

結果として、

私は電話サービスを行っている

専門家の方とお話をして、

回復に至ったわけなんだけど、

不調を感じ始めてから数か月後も経っていた。

助けて欲しいときに

「助けて」

と大声で叫べる人はいない。

そしてそんな時は自分でさえ、

助けを必要としていることに

気が付いていないんだよね。

毎日、

日記で心のケアをしていたつもりだったけど、

あの時の私は

自分だけの力ではどうにもできないところまで

来ていることが分かっていなかった。

5years diaryに

やりきれない気持ちを綴りながら月日が経ち、

ようやく助けを求めている自分に気が付いたの。

過去の自分が発したSOSを汲み取った私は、

ほんの少し行動を起こせた。

まずは「私は辛い」ということを、

周囲の人に言うことができた。

(どう言えばいいのか難しいけど)

辛いのは私自信なのに、

それを助けてあげたい私もいて、

どうしたら私が私を助けてあげられるか、

他人に相談してみようと思った、

といった感じかな。

すると私の話を聞いてくれた人が、

心の不調の相談に乗ってくれる機関があると

教えてくたの。

私はインターネットで

そのサイトをチラ見するだけの日を

しばらく続けた。

それからようやく

予約画面に記入するところまではいくものの、

完了ボタンを押せずじまいの日々を過ごした。

やっと「えいっ」と

予約完了ボタンをクリックできたのは、

そのサイトを気になりだしてから

数週間後のことだった。

時間はかかったけど、

少しづつでも前進できたことを、

本当によかったと思ってる。

そして、

どうやら

「自分というのは自分のSOSを無視できない」

ということに気が付いたの。

SOSは一発では届かない。

いきなり大きな声で発することもできない。

でも日記に現状を綴ることで、

未来の自分に気付かせることはできる。

未来の自分もまた苦しい最中だから、

あまり多くを求めては可哀想。

できる範囲での小さな行動を繰り返して、

少しづつ前進してくしかない。

「サイトを見ただけで切っちゃってごめん」

と思っている時点で、一歩進んでるよ。

サイトを見ることすらできなかった自分が、

それを繰り返すことで、

予約までこぎつけたんだから。

自分というのは、

絶対に自分を裏切らない唯一無二の存在。

過去からのSOSを現在の自分が受け止め、

未来の自分へまたSOSを発するの。

自分のことを助けてやって

T43『戻ってきたよ!』

1月1日の日記が大好き!

巻頭に戻ってきて、

1段下がった、

自分の年輪をまた重ねたんだと実感できる

この瞬間がたまらなく好き!

興奮する!!

日記帳が縦に段で分かれていることは、

私は意味があると思ってる。

上段に書いてきたけど、

まだ何もできていない、

未練たらたらの計画を、

下段で実行に移し、

伏線を回収してゆくのだ。

上段に書いた夢も、

できればその都度、

やれたらやってるよ。

だけど、

大きな夢は何年もかかる。

何もかもが計画的になんてムリ。

脱線したり、

予定外のことだってしょっちゅう。

だけど、毎年、

いつか…いつか…と思いながら

温めてきた夢を下段で着手するの。

過去に書き上げた4冊でそうだったから、

私は知っている。

これを読んでいる方が、

もし学生であれば、

夢に着手するまでのスパンは

もっと短くあるべきだよ。

「思いついたらすぐ」にやる勢いがないと、

その時しかできない事ってたくさんある。

それにチャレンジして失敗に終わったとしても、

リカバリーがきく、

失敗が経験となって今後に繋がる、

そうポジティブに捉えて突き進んでほしい。

5years diary(5年連用日記)より

3years diary(3年連用日記)の方が回転が早いから、

回収できる夢の数も多かったりするかもね。

大人になるとね、

失敗が怖くてたまらないの。

若い時からチャレンジを重ねてきた結果として、

今、手にしているものを

失うかもしれないという恐怖から、

新しいチャレンジをしたくないと

思ってしまうの。

それは実績だったり、

地位だったり、

プライドだったり、

若い頃にはあまり無かったものを、

少しずつ積み上げてきた結果だから、

「失うのが嫌だ」というのは、

当然の反応と言えると思う。

だけど歳をとったからと言って、

やりたいことが無くなる訳ではないの。

好奇心を抑え込むことが

大人になったという事ではないはず。

5years diaryに不安や期待を綴りながら、

慎重かつ大胆に、

私は夢に向かって挑戦してる!

燃えるぜ!!

いや、たぎってるぜ!!!

T44『SNSブログとの違い』

SNSとかブログって楽しいよね。

他人の反応があるからかな…

5years diary(5年連用日記)とは全然違う。

5years diaryは、

種をまき、

水をやり、

土を手入れする、

畑仕事のようなものに対し、

ブログは畑で取れた収穫物を販売する、

農協のような感じかな。

収穫物が無ければ

農協に持っていく物もないわけだけど、

実際、

何も育てていない人などいないよね。

誰しもが必ず何かしらを育ててる。

だけど、不思議なのが、

その収穫物の存在を認識していない人がるの。

「私には発信できる物がない」

と言う人がいるの。

だけど、違う。

それは間違ってるよ。

発信できる物を書き残していないから、

その存在を見失っているだけ。

「こんなことブログに書いたって…」

と自分を卑下するのは、

自分の頑張りの記録をつけていないからに過ぎない。

5years diaryには小さな成功がたくさん綴られる。

どんなに些細な成功も、

たった1回だけの努力では実らないことが分かる。

種をまくところから、

花を咲かせ、

果実を収穫するまでの頑張りを記録に残すべき。

その経緯を見れば

「こんなことブログに書いたって…」

とは思わないはず。

たった1つの工程、

たった1つの実、

たった1回の挫折に目を向けないで。

ちゃんと自分の畑の在りかを、

収穫物の多さを、

試行錯誤を繰り返してきた頑張りを見て。

豊作じゃんか!

T45『代り映えしない』

日記を毎日つけていると、

代り映えのしない自分の日常が

つまらなく見えることがある。

私の妹は20代前半で結婚して、

その数年後に母となり、

今や4人の子供を産み育てている。

一方、私の20代は仕事と遊びだけで、

30代で結婚して、

1児の母となり現在に至る。

私は妹のイベントの多さに気後れして、

なんだか自分の人生は恥ずかしい…

そう思ってしまうことがある。

だけどね、

今一度、

私の宝物、

5years diaryを読み返してみると、

5年前と同じものなんてほとんどない。

家庭や職場、人と関係することは特にそう。

私の場合この5年で、

たくさんの変化があったのに、

ビフォー・アフターを見比べると、

あまりの変化に「全然違うな」と感じるのに、

毎日の連続したゆっくりの変化には気付きにくい。

(アハ体験みたい)

5年間、同じ環境でい続ける方が難しいんだよ。

大きな人生のイベントだけが「変化」ではない。

私たちは、毎日の中で、

少しずつ「変化」を続けている。

それを書き残しているか、

読み返しているか、

気付けるかどうか。

気付くと「達成感」を感じる。

私はただのんべんだらりんと

平坦な道を歩いてきたんじゃない、

多少なりとも起伏のある山道を

登ってきたのだと実感することができる。

山の大きさは関係ない。

富士山に登りたい人も、

高尾山に登りたい人も、

それ自体に優劣をつけることでは無い。

大事なことは、

「見える景色が変わっている」

そのことに気が付くこと。

自分が辿ってきた後にできた道を

意識できるかどうかだよ。

代り映えがしない人生なんてない。

5years diaryにビッシリ埋められた文字は、

自分の軌跡。

それを眺めて、

こんなところまで登ってきたのか、

と実感するのは気持ちがいい。

そして先に待っている空白に、

1歩1歩、1コマ1コマ、

どう進んでゆくのかに思いを馳せるのは

本当に楽しいよ、やってみて。

T46『空白の5日間』

私には2006年に空白の5日間がある。

5years diaryを書き始めてから

8年目、2冊目の3段目に何があったのか、

前後を読み返せば想像がつく。

自分の事だもん、当たり前か(てへっ)

その翌年、

2007年の私は少し驚いたコメントを残してる。

でも、空白であることに深く追及はしてない。

書くのを忘れたのではなく、

どうしても書けない事はあるよね。

私は23年間、

日記を綴ってきた中で、

今のところこの5日間がそれにあたる。

だけどね、

やっぱり書いておけば良かったと思うの。

私が何を思っていたのか知りたいと、

今となっては思う。

2007年の私は見逃してくれたけど、

2022年の私は知りたい。

書き残していない気持ちは、

絶対に思い返すことができない。

書き残していたとしても、

完璧には思い出せないのだから、

書き残していなければ、

もう絶対に知ることはできない。

だから記憶が遠のけば遠のくほど、

その空白が気になって仕方がない。

だけどこうした理由がある空白は

許させれるべきだと、私は思う。

珍しい空白だからこそ、

「気になる」という

現象を引き起こしているわけなんだ。

だから、

空白そのものが悪いと言っているわけではない。

だけど、

理由がない空白(=気が向いた時だけ書く)

というのは駄目。

先ほども書いたけど、

書き残していない事は、

もう思い出すことができないの。

その空白が特別なことであれば、

「書けなかった」という

空白が物語る気持ちがそこにはある。

だけど空白がそこかしこにあっては、

5years diaryの意味が半減してしまう。

飛び飛びに書いたりしちゃだめ。

昨日と同じようなつまらない日、

思い出したくないきつかった日、

忘れてしまいたい恥ずかしい日を

書き残してこその日記なの。

当事者である自分が当時、

書きたくないことを書くことは、

未来の自分のため。

こういう日から学ぶことは本当に多くて驚く。

安心してほしい。

未来の自分は過去の自分に幻滅したりしないよ。

「書き残してくれてありがとう、よく頑張ったね」

と言ってくれるの。

空白なんて無いことが一番だけど、

どうしても書けない日はある。

それ以外は、ちゃんと思いを書き残そう。

T47『持っていく?』

日記帳を出張や旅行先に持って行くか悩む。

まず、けっこう重たい。

なので、

一泊二日の身軽な旅行に持って行くのは大変。

そして、

海外は盗難が怖い。

もし失くしたらと思うと、

怖くて家から持ち出すのを躊躇うよね。

最後に、友達に見られたくない。

「何してるの?」と覗きこまれると困る。

私も何度も迷ったけど、

導き出した私の答えは「必ず持って行く」。

20代の前半にアメリカに

1週間程行ったときに、

置いて行ったの。

バックパッカーのような旅で、

身軽でいたかったのと、

失くしたら困るなと思って。

私は代わりに準備した手帳に

旅先での日記を綴り、

帰国後そのページに挟んだ。

これも駄目ではないけれど…

やっぱり持ってくればよかったなと思った。

5years diaryは私の一部なんだよね。

旅先の特別な気持ちだからこそ

「その日の気持ち」を綴りたい。

荷物は海外では無くなることがあると聞くから、

私は肌身離さず、

5years diaryは機内に持ち込む。

旅先を想像してわくわくしちゃって、

機内で日記を書いたら、

時差の関係で日付のマスがズレてしまったり、

書きたいことが多すぎて、

すごくちっちゃな字で書いていたり、

そういうエピソードも含めて思い出になる。

旅先にも必ず日記帳を持って行きなさいと

言っているのではなくて…

旅先で日記を書くのも、

旅の楽しみの一つになるよって言いたいだけ。

T48『始め時は、今』

市販の日記帳は1月1日から始まっている。

4月1日から始まっているものや、

日付が全く入っていないものもある。

おそらく今から日記帳を買えば、

すでに過ぎている過去の数日を空白のまま、

途中から始めなければならない人が多いと思う。

私はその悩みを解消としたくて、

日付が選べる日記帳の制作に取り組んでる。

いつかは完成させ、

ここで商品として販売するのが夢だけど…

まだ先になりそう。

自分で日記帳を作ってみて、

市販品の素晴らしさを痛感したの。

市販品の何倍もする私の作った日記帳より、

ちょっと日付が過ぎてしまっている

市販の日記帳の方がいいと思う。

書き始めは「勿体ない部分」が出るかもだけど、

書き終わりは揃うから。

2冊目以降の継続において、

市販の5years diaryはとても楽なの。

せっかく始めてみようと思ったのなら、

未来に向けて書き始めてみて。

来年の1月1日を待たないで。

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