過去の日記を読み返すと、
「恥ずかしすぎる!無理!!」
と日記帳を閉じてしまいたくなるようなら、
それはよく書けている証拠。
5years diaryの使い方として、大成功。
人に見られた時の事を意識して書いた文章は、
感情が乗らず本音が書けない。
本音の中にしか本当の目標(夢)や
反省は綴られることはない。
だから、もし「そんなこともあったけな」と
ケロッと読めてしまうようなら、
5years diaryを生かし切れてないといえる。
私も昔の日記を見るときはドキドキします。
顔が真っ赤になって、
変な汗をかくし、
息が苦しいし、
ドキドキし過ぎて首の脈が痛くなるほど…
本気で変わりたいと悩んでいる姿とか、
夢が叶って無茶苦茶浮かれてる様子とかね、
もう恥ずかし過ぎて見てられないんだよね。
だけど少し息を整えて、
他人事と思ってよく見てみて。
例えば、友達や兄弟姉妹の話だったら、
と置き換えて読んでみて。
「すごい頑張ってるな」
「偉い!やったね」
と素直に褒め称えることができない?
つまりね、
他人からは自分がそう見られてるってこと。
身近な人からの評価というのは、
面と向かって言ってもらうことはあまりない。
だから友達や家族が自分をどう見てるかは、
知ることができないんだよね。
学生の時は生活態度という形で評価されるし、
社会人になれば給与やボーナスの査定といった
面談は何度もある。
だけどそういう人たちの評価は本当じゃない。
私の全部を知らないくせに勝手なことを言う、
一瞬、一面しか見てないような他人に
自分の評価を預けてはいけません。
「この人には私がそういう風に見えているのか」
と受け入れることはあっても、
そこで言われたことが全てではない。
丸呑みをしてはダメです。
本当の自分を綴った日記を見て恥ずかしいのは、
日々の頑張りの記録を見て、
自分で自分を正しく評価できるから。
自分だけはそれを見て、
赤面しながら「あっぱれあっぱれ」
(とは言わないかもだけど)
と大いに褒め称えていいんだよ。
自分の本当の姿を知るのはいいこと。
「私は意思が弱くて日記とか続かないから」
と自分に厳しい人がいるけど、
書くメリットを感じないからやめたのでしょう?
その時はそういう選択をしただけのこと。
私はそういう人の意思は弱くないと思うよ。
どちらかというと強いんじゃないかな?
だって、止めるのもけっこう勇気がいるもんね。
もしまた書いてみたいと思うのであればやってごらんよ。
続かないかもと思うのであれば
「また続かないかも」と日記に書いてごらんよ。
そして来年、
それを読み返しながら
「ドキドキ」しようよ。