日記を書くことで何のメリットがあるのか、どんな効果を得られるのか気になりますよね。
ここでは日記の「過去からもたらされたメリット&効果」について書きます。
『もう一度、挫折してるんだ』
「俺だって書きたいと思っているよ」と夫が言ったのが少し意外でした。
だって書きたいと思ってないから、書いていないのだと思っていたから。
自分の誓いを破ったトラウマというのでしょうか、「挫折」を認めるのは自分で自分を裏切っちゃったみたいな嫌な気分ですよね。
5years diary(5年連用日記)を続けてるニッキーには、そんな悩み分かるはずないって反論したいですか?
分かりますよ。
私ね、日記は続いてますよ、日記は、ね。
だけど、ダイエットとか、禁酒とか、綺麗なお部屋を維持しようとか、挫折いっぱいしてますよ。しまくりです。
今日からやろう、毎日やろう、1日1回、5分だけでも、と固く誓ったはずなのに、こんな最小限の目標すら守れないどころか、しれっと言い訳して、あっさりと撤回して、平気で無かった事にちゃう自分のふてぶてしさを、日記に残していて気付いたことがあります。
私はどうやら、挫折を悪いことと思っていない節があります。それどころか挫折を肯定しているようです。
日記をつけていると「何でやめたのか」を把握できます。
止めたことにも理由があります。「言い訳」がそれにあたります。
私はお酒が好きで、毎晩ビールを飲みます。最近太ってきたし、休肝日とやらを作らなきゃなぁと、「今晩は飲まないぞ、できれば明日も飲まないぞ」と朝に誓ったのに、昼までは確かにそう思ってたのに、夜になったら別人になってしまったみたい…プシュッ、グビグビ
そして酔っぱらって言い訳を書くわけです。日記帳にね、「健康診断の結果はよかったし、飲まないとストレス溜まるじゃん、その方が体に悪い」とか書いてるんですよ。
自分の図太さに唖然としますが、恥を承知で自論を展開させていただきます。
私はこの日、2つ決断をしています。
1つ目は「今日はビールを飲まない」2つ目は「やっぱり飲む」です。
これは1回の小さな挫折ですが、2回の小さな決断とも言えます。
最初は1にしようと思ったけど、やっぱり2にしよう、と意見を変えるのは恥ずかしいことではありません。
理由は「その方がいいと思ったから」で十分です。
自分で納得して、選択を変えただけなので、後悔はしていません。むしろちゃんと考えた結果、結論を覆したので満足度が上がっています。
日記に挫折した人は、何でやめたのか言えますか?
理由が言える人は「必要ない」と決断を下したので、その答えに満足しているはずです。
だけど「俺だって書きたいと思っているよ」と言う人は、やめた理由が分かってないと思います。
やめた理由が分からないから、「自分は根性がないんだ」とか言い出しちゃうと思います。
でもたぶんそうじゃないから、無駄に自分を責めない方がいいですよ。
そして、思考を止めない方がいい。思考停止は最悪です。
「ビールを飲むのやめようかな、いや、もう考えるのをやめよう」これが一番ダメです。
何も決めないことは、挫折もしないけど、納得した決断も下さないという逃げです。
「もう一度日記書いてみるよ」と決断をし、「やっぱり止めるよ」と、きっちり決断を下せたら、それは挫折ではなく納得の結果になります。
ひとこと:開き直りも大事だ(えっへん)